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249 ◆至ってみれば普通
2009/6/8(月)06:42 - T.K. - 3224 hit(s)

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そこに発生する力

今までの様子では発生させることが出来なかった力

今までの自分では発生させる事が出来ないから

曖昧な様子を明確にするために

曖昧な表現に当てはめてもっともらしくする

この曖昧さは

現状の類が

成した側との類と異なるためであり

日本語と英語で話しているようなものであり

文化の違いのようなものでもある

また、算数を知らない小学生が

大学生の計算している様子を見ているようでもある

更には、

江戸時代の人が

携帯電話で話している様子を見るようでもある


これらの様子は

動きの

カルチャーショックであり

ジェネレーションギャップであり

ヒストリーショック(造語)である・・・


江戸時代の人が、現代の様子をいきなり見ると

宇宙人が成している様子に見えることだろう・・・


このように、

理解不能状態の元凶を見ていこうとせず、見ず、

見ていく道筋を示そうとせず、示せず、

神秘的なものとしてしまう状況を、

眼にする、耳にする・・・


江戸時代にタイムスリップすると

現代人の、普通の人でも、

その人の様子や知識は神秘的であるだろう・・・


・・・そういうことである・・・


凄いことでも、

理解不能の現象でも、

具体性の中で探求していくと、

普通のことなのである・・・


江戸時代の人も、

現代に至るまでの歴史を知ると、

普通であることに気づくだろうし、

そのまま、時代が進めば、

江戸時代の人は実際にはそうなるまでに死んでいるが、

人間は、その繰返しの中で、現代の様子に至る・・・


探求していくことによって、

今までの価値観を持つ自分が、ある意味、死んでいく・・・

言い換えると、

新たな価値観を持つ自分が、新たに生まれてくる・・・

この繰返しによって、

人生の中に、

数多くの生死が存在する・・・

これが、成長のようにも思う

成長とは、

そのままの様子で成長する時と、

まったく違う様子に移行して成長する時がある・・・


前にも、この例えを遣ったことがあるが、

ブラウン管テレビの技術をいくら高めても、

ブラウン管テレビは、ブラウン管テレビであり、

液晶テレビにはならない・・・


ブラウン管テレビの技術の進歩は

そのままの様子で成長している様子であり

液晶テレビは、まったく違った様子への類の変化であり、

これが技術革新であり、

まったく違った様子に移行しての技術の進歩を成す・・・


『現認変革』

著書の中にも記しているように、私の造語だが、

現状を認識する・・・具体的に認識する・・・

ことによって、

見方、認識の仕方、、、、に、変化が起こり、

革新が成される・・・


現状を認識する、具体的に認識する、

認識することが出来る、

素直な心が、探求の扉を開けるカギとなる・・・


そして、具体的に歩みを進めることによって、

見えない領域が、適当に関与してくる・・・


具体性の中では、

あらゆる見えない領域の作用が関与している・・・

それを、感じる、

そんな気がする・・・


気のせいではなく、

気のせいなのである・・・


気が向かないことはぜず、

気が向くことをする・・・


気が重いことはせず、

気軽なことをする・・・


具体的に探求する際には、

このような、気分、が大切である・・・


気分が爽快になる具体性・・・


その歩みの先には、

普通の素晴らしさが広がっている・・・


至ってみれば普通・・・


そんな歩みの道標の一つが「体幹内操法」・・・



【249】 ◆至ってみれば普通 2009/6/8(月)06:42 T.K. (2855)

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